第四十段 いでていなば
むかし、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり*1。さかしらする親ありて*2、思ひもぞつくとて*3、この女をほかへ追ひやらむとす*4。さこそいへ、まだ追ひやらず*5。人の子なれば*6、まだ心いきほひなかりければ*7、とどむるいきほひなし*8。女もいやしければ*9、すまふ*10力なし*11。さるあひだに*12、思ひはいやまさりにまさる*13。にはかに*14、親、この女を追ひうつ*15。男、血の涙を流せども*16、とどむるよしなし*17。率ていでていぬ*18。男、泣く泣くよめる、
とよみて絶え入りにけり*22。親、あわてにけり*23。なほ思ひてこそ言ひしか、いとかくしもあらじと思ふに*24、真実に絶え入りにければ*25、まどひて願立てけり*26。今日のいりあひばかりに絶え入りて*27、またの日の戌の時*28ばかりになむ、からうして生きいでたりける*29。むかしの若人はさる好けるもの思ひをなむしける*30。今の翁*31、まさにしなむや*32。
*1:そんなに悪くはない女を思うようになった
*2:おせっかい焼きの親がいたもんで
*3:(男がこの女を)好きになったら大変だ、っつって
*4:この女をどっかへ追い払おうとした。
*5:そうは言っても、まだ追い払わない
*6:(その男は)親あっての身分だったんで
*7:まだ自分の意思を通す力も無かったので
*8:(女を)引きとめる力が無い
*9:女のほうも賤(いや)しい身分だったから
*10:争う(相撲の語源)
*11:張り合う力が無かった
*12:そうこうしてる間にも
*13:(男の)思いはいよいよ募りにつのる
*14:急に
*15:親が、この女を無理に追い払った
*16:血の涙を流したけれども
*17:引き留める手段が無い
*18:(親の差し金的な誰かが)(女を)連れてってしまった
*19:連れてかれちゃうんなら
*20:別れることが難しい人なんていないでしょ
*21:あいつがいた時よりいっそうあいつが愛しく思われる今日のこの悲しみ…!
*22:と詠んで息絶えてしまった
*23:親は、度を失ってしまった
*24:(わが子を)思ってこそ言ったんだ、まさかこんなことにはなるまい、と思っていたのに
*25:マジで死んだので
*26:うろたえて願掛けした
*27:今日の日没ぐらいに息絶えて
*29:翌日の午後八時ぐらいにかろうじて生き返ったのだった
*30:昔の若者っつうのはな、こういう恋愛ひとすじみてえな悩みをしたもんだぜ
*31:(最近の妙に分別臭い若者のことを揶揄して言っている)
*32:さっこんの年寄りじみた連中がどうやったら(こんな恋が)できるかね?